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路地ろぐ(ブログ編)第4章「往生してます」
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路地ろぐ(ブログ編)

新切鰺(しんぎれあじ)の京都巷談。新切鰺は都市漂泊。舌足らずの言いっぱなしブログです。京都暮らしの横断面図は不都合事情。ブログ編の第4章です。往生をキーワードにカテゴリーから掲載しました。往生しまっせの往生です。迫ってくる往生と後生について書きました。この章は常時追加現在進行形。1.5.20


(「路地ろぐ」京都編indexに戻る)

路地ろぐ(ブログ編)第4章「往生(おうじょう)してます」


no.118-2「年功序列」(1.5.10)
no.129「立夏の頃」(1.5.4)
no.128「青春は忘れ物!あれからずっと忘れ物ばかり」(1.5.3)
no.127「老ネズミ男の妄想」(31.4.25)
no.126「老後という言葉を使える人」(31.4.20)
no.125「ボケてるけど認知症には間がある?」(31.3.23)
no.124「ピンボケの原因は老化だった」(30.3.17)
no.123「資産寿命が尽きるとき」(31.4.13)
no.122「ハトの方がたくましい」(31.3.12)
no.121「介護保険の前」(30.3.8)
no.120「地獄に仏は医師のこと?」(30.1.31)
no.119「12月8日は釈迦の日」(29.10.8)
no.117「角大師(つのだいし)/粟田口界隈」(29.10.26)
no.116「尊勝院/粟田口界隈」(29.10.25)
no.115「祇王と仏御前(後)」(29.9.25)
no.114「1円玉が増えてないですか?」(29.9.25)
no.113「祇王と仏御前(前)」(29.9.23)
no.112「生きているのがしんどくなるとき(後)」(29.9.20)
no.111「生きているのがしんどくなるとき(前)」(29.9.20)
no.110「近江坂本の西教寺(大津から京へ至る道番外)」(29.9.12)
no.109「カバンが小さくなった(29.5.2)
no.108「択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろうか」(29.1.17)
no.107「僧侶が作る病院」(28.12.22)
no.106「自分の駅で降りただけ」(28.11.10)
no.105「法然上人を琵琶で語る佳人」(28.11.2)
no.104「私の林住期?」(28.10.18)
no.103「もっとも分かり易き平家物語の解釋」(28.8.19)
no.102「黄檗山萬福寺・無常迅速」(28.7.31)
no.101「年寄りは自動延長気をつけよう」(28.6.2)

no.101 「年寄りは自動延長気をつけよう」

往生編は地蔵菩薩のお顔を拝みながら進めます"

(写真註:往生編は地蔵菩薩のお顔を拝みながら進めます)


クレジットの明細を見て使ってないウィルスソフトの請求に気づいた
購入の覚えがない、今までこんなことはなかった、で、クレジット会社と購入先に問い合わせた
丁寧に対応してくれた、が、5年前にパソコン買ったときソフトのCDも一緒に買った
その時にインターネットで、メールアドレスとともに自動継続に登録していた
ウィルスソフト、今は別のものを入れている、メールアドレスも変わっている
ソフト会社は今回、期限が切れたためにメールで連絡したが返信がないので延長契約に同意したということで手続きをしたという
商品購入でNOと言わなければYESとみなすというのはおかしな話だ
クーリングオフには応じると言うが、そもそも商品の案内も届いてないのに
更新の契約は解除に応じますということになった
来月以降、クレジット会社を通じて返金できるようにするというので
つい、いつになく文句を言わずにありがとうとオペレーターの女の子に言ってしまった
携帯電話会社もこの手をよく使う
こちらが何も言わなければ自動継続だ
契約には期限があるが、自動継続にすればほぼ無期限と同じになる
互いに、手間が省ける思っていた
だが、毎回最初と同じ契約をしていることになって、会社にとって都合がいい仕組みになってたりする
ソフト会社も携帯電話会社も契約期間はもともと自分の都合で勝手に決めている
2年前より10年前、10年前より20年前の契約者が不利になる仕組みなのだ
閑話休題
確かに今は命も自動延長なのだが・・
縁起の悪い話で申し訳ないが
この広い世の中、持ち主は幽霊だけど自動継続でせっせと金だけ引き落とされてるなんて話がないわけではない
このウェブ関係の世界も、クレジットでないと支払が出来ないのが多い
内緒の携帯番号ぐらいはともかくとして、内緒の金融取引や内緒の銀行口座など気を付けた方がいいのでは
持ち主が急に幽霊になっても携帯電話は生きてるし、パソコンにはそのことが分からないのだ

例えば、このブログ、がんばって500編位は目標にしている
途中で倒れたら、誰にも何にも分からず・・やがて本当のデジタルゴミになってしまうのだろうね
それは構わないけど、しかし小生が幽霊でも毎月クレジットで銀行口座があるうち引かれていくのだろうね、パソコンはまだ働いている
パソコンの中だけのデジタル遺産と言うらしい・・
1年も更新がなかったら自動で自動延長タイムリミットでせめて無料コースに変えてゴミ箱に入れて欲しい
冗談じゃなくてそんなシステム考えてよ
年寄りは何はともあれ身辺整理が大事と言う話です
(28.6.2)



no.102「黄檗山萬福寺・無常迅速」

布袋さんは弥勒菩薩の化身

(写真註:布袋さんは弥勒菩薩の化身)


京都駅からこの頃外国人で混むJR奈良線に乗る
伏見稲荷が人気らしい、多くの人が降りる
幸運なことに黄檗(おうばく)まで行く人は少ない、黄檗には萬福寺がある
江戸時代に中国から来た隠元が開いた禅宗寺院である
建築だけでなく今も修行や読経には中国風を残しているといわれる
回廊に掲げられた大きな魚板が看板である、開ばんと言う(ばんの字は木偏に邦と言う字を書く)
その他にも数か所巡照板が下げられていた、これも寺での日常の合図に使う、
説明書きには朝夕起床・就寝の合図にこれを打って一山の僧が唱えるとある
謹んで大衆に白す
生死事大にして
無常は迅速なり
各々宜しく覚醒すべし
謹んで放逸する事勿れ
これが5行で書かれているので板の真ん中が窪んですり減っている
その字こそ「無常迅速」(うーじゃんしんそ)である
人生は短く、思いがけずに早くに死が訪れるかもしれない・・と言うことだろう
しかし、どうすればいいのだろうか
無常迅速、時、人を待たず・・と言うのも禅語にはある
早く言ってほしかったナァ、今になって、そう言われても小生も困っている

今日は、数十人の一団が作務衣を着せられ修行に取り組んでいた
黒い靴が下駄箱に並べられていた、会社の研修だろう、今なら真冬よりは楽かもしれない
萬福寺では修行僧は通路の真ん中を歩くことは出来ないと聞いた、両側をきちっと並んで歩く
真ん中や先頭を歩くことが出来なければ、
せめて、道を歩くときは人の邪魔をしないように教えてやってほしい、と思った
この内何人今日の道を歩いて行けるのだろうか?
セミの声も無常迅速と聞こえたら研修の成果あり?

もちろんこの時期研修中のサラリーマン諸君に応援している

(28.7.31)



no.103「もっとも分かり易き平家物語の解釋」

(写真註:)


小生の趣味の一つにホームページ作りがある
人に頼まれたりもしているが、自分でも京都の歴史を断面的に見ようと試みたサイトを続けている
パソコン教室で、WEB言語であるHTMLやCSSも小学校卒業くらいの知識までなら学んだ
今はWEBの世界でもあるが、それ以上に書籍は内容が信頼できる
実は古本屋によく行く
この前に買った本に
『もっとも分り易き平家物語の解釋(柴田隆著・昭和4年日本出版社発行定価1圓)』がある
それはいいのだが・・
その本の後ろに
『樟蔭女子専門学校福本淑子』(もちろん実名です)ときれいな字で持ち主の署名がある
樟蔭女子専門学校(大阪)は大正15年(昭和元年・1926)の開設である
高等女学校卒業後に入学して3年だから卒業は20才になる
本は昭和10年の10版発行だから、推測するに昭和10年(1935)にはざっと16か17歳くらいかと思われる
仮に大正8年(1919)の生まれだとしたら、今年は97歳になろうかと推察できる
平家物語を学んでいた乙女である
97歳になろうと98歳になろうとしっかりしておられるはずであろうが、そうでなくとも仕方がない
本の持ち主の娘さんあるいは息子さん
小生を含めてあれから何人かの手垢はついたかもしれないが
必要ならばお返しする、と言う連絡である
一番多感で頭脳がさえた時代に彼女がこの本で勉強したはずであるし、本にもその形跡が残っている
卒業したって女子の生きる道は限られていたはずなのに、平家物語の歴史と解釈を学んでいたことは驚く話である
つくづく、日本の女子の教育レベルが高かったことが分かる

申し訳ないが、現代の樟蔭女子大学の学生たちからは想像すらできない
この学園も学校経営に成功し、今年は創立100周年になるらしい
大阪の名門である、大正・昭和・平成と3代にわたって学んだ人も多いだろう
ただ、女子教育は100年記念と言うより100年の落差を知るべきかもしれない

小生の母親は大正13年の生まれである
事情あって別居しているが、貧しくともしゃきっとしていたそのころの高等女学校時代の写真がある
たかだか高等女学校生であるけれど毅然としている
今も毅然と生きている
母親から受け継ぐものが多いけど真似のできないのも男の特長でもある

(28.8.19)



no.104「私の林住期?」

(写真註:)


林住期とは生きるための仕事からリタイアして、人生とは何かを思考する季節・・・と作家の五木寛之が「百寺巡礼」で書いている
さて、これからは趣味も楽しみたいがどれも中途半端だし、病気にはなりたくないが先のことは分からない
家族のことも同じで、心配の種は尽きないが、いまさら零に戻すことも出来ない
多くの人たちと同じように特別な幸運は望むべくも無いが、いつか帳尻があったら人生“可(よし)”とするか

という気分である
たしかに、過去に誇りたいものもある、しかし、思えば過ちも無いわけではない
いいことだけを思い出すのも楽しいかもしれないけれど、過去を美化していくことは、それも一つの老化現象だと思う
どんな鋭利な頭脳の持ち主も意識しなければ老人化は防げない
いい思い出だけを語るなら、いっそのこと何も語らない方がいい・・のではと思ってしまう
結局今までのもので誇るべきものは何もないが、それでも今までと同じように生きていかねばならない

仕事もないと落ち着かない、社会との付き合いである
何も出来ないが何もしないよりはマシだろう
勿論その程度のことで何か見返りを期待しているのでも無い
いつまでも出来るとは思わないし、もっと何かをするかもしれない
社会の邪魔はしないつもり・・
やらしてもらっている間は世の中への義理も感じるのだが・・

他人に分かってもらわなくとも差し支えはない
(10.18)



no.105「法然上人を琵琶で語る佳人」

百万遍知恩寺の地蔵菩薩像

(写真註:百万遍知恩寺の地蔵菩薩像)


11月に入って恒例の「秋の古本まつり」に行って来た
10月の末から文化の日まで一週間近く百万遍の百万遍知恩寺境内で行われている
目的は1冊500円程度の古本であるが、今日はたまたまお寺の人の誘いで大殿に上がらせてもらったわけである
それで、浄土宗の声明(しょうみょう)と薩摩琵琶を聞かせてもらった

百万遍とは念仏を百万遍唱えるという意であるがお寺の名でもある
京都大学の工学部と今出川通りを挟んだ向かい側になる
法然は浄土宗の宗祖、その法然が最初に始めた寺の伝統をとって知恩寺と言う
知恩とはそのまま恩を知るということである、教団の本山知恩院と同じ意味である
琵琶はというと・・若き薩摩琵琶の奏者北原香菜子さんが作った「法然上人御一代記」を自ら語ったものである
北原さんは九州佐賀の生まれ、2011年法然上人の800年忌の頃からこの琵琶を奉納している

法然上人は讃岐から帰ってその数か月後に京都東山大谷の地で没した
法然はまた浄土真宗親鸞の師でもある
それぞれ既成宗教組織の迫害で流された
歴史は奥深いものであるが基本は政治や権力の推移をなぞったものである
800年も前の人たちであるが、その中で有数の聖人が宗教人として残っている
法然や親鸞という人は釈迦やキリストのように、その人の存在が宗教的意味を持つ


「南無阿弥陀仏」と声を出して称えるという行為の意味は未だ色あせていない
それ以外に往生しようがないのである

法然上人が熊谷次郎直実に説くその一言を琵琶で語るのが女史である
北原香菜子さんは京都の由緒のあるお寺のお堂で見てもなお美人である
目をつむって聞くのはもったいないと思う
楽器琵琶は100年を超える桑の木で作られるという、しかも弦は蚕の糸絹糸である
京都の酒月桂冠のワンカップを琵琶や木々の精に供える人でもある
琵琶に巡り合ったことがよかったと祝福できる人である
(30.11.2)



no.106「自分の駅で降りただけ」

「団塊の世代」昭和51年(1976)に発行された

(写真註:写真は「団塊の世代」昭和51年(1976)に発行された、私が読んだのは昭和55年(1980)、その時もう30歳を過ぎていた、そうだそれからだ、死ぬまで競争かもしれない宿命を感じた


小生今はと言うと・・
サラリーマン社会の枠からはみ出してしまって
戻ることの出来ない現役の世界を過去として暮らしはじめている
素人間でもある
社会は席を譲ることで成り立っていたのかもしれない
退職だってそうだが、逆に大昔採用され新入社員にもなれた
その後の昇格・昇任だって枠のある限りまた空いた席のある限りにおいて、譲られてきた
譲られたことに気づかなくとも、譲られたことは一方で同時に譲ることでもあった
特に私たちの世代は、いつも枠の内の数を意識させられてきた

だが、退職してしまってからは少し違う
例えが悪いが、席取りゲームからはみ出したようなもので、取り合いすべき席は無い
そうかと思うと座布団だけを持たされたような世界だ
自分で勝手に枠外の好きなところへ座れと言うことであろう
一つの役割は終えたけれど、その後の役割は全くもって漠然としている
五木寛之は“林住期”とも言っていたが、やはり今まで以上に無常である

電車の席と同じである
空いていている限り自分が座っていい
しかし、降りるときに席に未練を持つ人はいない
乗客にはそれぞれ行く先がある、乗り換えも自由である
が、何を言われなくともそれぞれ自分の駅で降りる

せっかく取った席だからと言って、そのために次の駅や終点まで行く人がいる筈が無い

小生は電車を降りた
これからまだ先に行く人にとっては、それはただの空席に過ぎない
変に礼など言われたら困る、そのかわり降りたからと言っても自分の座布団だけは持っている
どこかに座るところを見つける、さ

それでも、これからも何度も自分の意思で行きたい方の電車にも乗るし、自分の駅で降りる
そうなんだ、全くもって自分の駅で降りただけのことである

(28.11.10)



no.107「僧侶が作る病院」

(写真註:)


紅葉シーズンが終わった頃を狙って友人の京都案内に永観堂に行ってきた
永観堂は東山にある壮大な寺院である聖衆来迎山(しょうじゅうらいごうざん)禅林寺と言う
12世のご住職が法然上人に帰依して後浄土宗のお寺である、ということでご本尊は阿弥陀如来である
紅葉で有名であるが、周知なのでそんなことは書かない
阿弥陀如来の念仏の道場としてのことの方が大事である
が、それも書かない・・もう一つが明治の初めの歴史である

明治の始め三条通りの東、粟田口村の天台宗の寺院「青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)」に「京都療病院(りょうびょういん)」が開設された
なんと明治5年のことである
元処刑場のあったのが三条河原である
そんなことからか医学研究に解剖場も併設
この療病院の設立は実は当時京都の実力寺院(観光ではなく)の僧侶たちの社会運動だった

明治元年に神仏分離令、それにより廃仏稀釈の波が全国に広がった
明治5年政府は僧侶の肉食妻帯蓄髪を許す布告を出した
何ら俗人と変わらない状態だった
それでも廃仏毀釈運動の風潮に危機感を感じた岡崎願成寺与謝野師・永観堂東山天華師・銀閣寺佐々間師・金閣寺伊藤師の住職たちが京都府の青年蘭方医明石博高(あかしひろあきら)などと語らって、僧侶たちが発起人となり京都府に病院設置を出願した訳である
仏教界の他、一般府民や医師、薬種商なども出資、花街(かがい)の冥加金(みょうがきん)まで多くの資金が集まったという
京都における近代医療の始りであり、首都でない都市としては早かった
梅毒退治や精神医学の魁となっていった以後京都は近代医学の先進都市となった
が、その時の経緯は余り知られていない

維新政府の意味のない施策であった神仏分離令のために廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた頃の話である

病院・医学校ともに明治12年に梶井門跡(梶井門跡は京都大原に本拠を戻して三千院となる)の跡へ移転
これが梶井町にある今の京都府立医科大学となる
この永観堂にも癲病院が設置されていた時期もある
廃仏稀釈は大寺院も土地をとられ、らしからぬ僧侶は還俗、そんな時期だからこそ仏教界や市民・府民が一緒になって作ったことの意義が大きい
病院は宗教の最も明確な救済活動だとするヨーロッパのキリスト教の影響も大きかったと言える

聖徳太子は日本仏教の最大の祖である
この療病院というのも聖徳太子の創設したものに習ったという宗教家の存在は大きかった
でも廃仏稀釈運動の危機感と言うものは本当にその時だけだったのだろうか
現代の京都の僧侶の職にあるものは市民の救済のために何を訴えられるのか?

浮世の観光行政に便乗したり翻弄されたり・・している様だけ見れば・・である
これも歴史
(28.12.22)



no.108「択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろうか」

親鸞聖人御影

(写真註:親鸞聖人御影)


大学入試センター試験科目にも「倫理」ってあるらしい
随分前に親鸞聖人が語った(悪人正機あくにんしょうき)という問題が出たらしい
親鸞の著書歎異抄にある「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というこの言葉についての(選択)問題だった
答えは
『善人とは自力で善を行えるとおもっている人のことであり、悪人とは根深い煩悩を自覚し、どんな善をなそうと努めても、それが不可能と思っている人のことである』に〇をつけると正解らしい
悪人こそは往生するにふさわしい機根があると歎異抄は説いていると解釈している
救いを求めているのは悪人である、と言うのは親鸞の気持ちに沿っているかもしれない
機根とは物事を理解できる力である
悪人はその機根を多く持った人であるというのが悪人正機ではないだろうか

そんな問題が出るということは倫理の教科書にそんなことが書いてあるはずだ
″どんな善をなそうと努めても、それが不可能と思っている人のことである″
と言うのは高校生に理解できる筈がない
選択といえど入試センター試験でも余りにもふさわしくない
それより先に色気むんむんの高校生にそんなこと教えてるのだろうか
教育効果があるのだろうか、それが倫理なのだろうか
鎌倉時代の法然や親鸞や日蓮の名も知らないのはようではおかしいが、
宗教家ですら悩むような問題がこんなところで出てくるのもおかしい
択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろう

世に悪をなす人は自分が善人だと思っている人ではないだろうか
極端に言えば・・そんな善人も悪人の一種である
阿弥陀如来は根深い煩悩を自覚出来れば善悪の区別などなく救ってやろうと言っているのだ
救われる方は善悪の区別の定義など今考えなくていい

それは宗教哲学者に任せればいい話である
親鸞に近しみを感じてあるいは学びたいと思って初めて親鸞が近づいてくるのである

それが機根である
親鸞が生きていた時代から800年・・
お寺に走らなくともよい、せめて、親鸞と名のつく小説でも読みたまえ
年々芥川賞も直木賞も下降気味だが、本来小説は青春と一体だ
大学に合格したら、どうせ勉強しないなら文学にでもなじむことだ
善人も悪人も、救いを求めてる人もそうでない人も・・
勝ち組も負け組も、大学生もそうでない人もみな同じ「悪人」だと気付けるだろう
救われる悪人であればいいのにね
(29.1.24)



no.109「カバンが小さくなった」

(写真註:)


カバンを持つほどの写真はやめたので、カメラかばんも要らなくなった
会社も終わって一番要らなくなったのはカバンである
簡単なことであるがビジネスがないのだから
昔のカバンで一番大きな皮のカバンが今は非常持ち出し用になっている
記念に頂戴した上等のアタッシュケースは一度も使っていない
二度と使うことはないだろう

退職後に買ったファッション性の豊かなカバンもこの頃は使う用がない
旅行カバンも型が古い?旅行に行かないのだから使うこともない
カバンを買ってまで旅行に行こうとも思わない
しからばという・・と、実はやはりリュックサックが一番重宝する
オールマイティながら、目的別に用意している
街歩きと、シルバーのパートと別で使っている
忘れ物をしない手でもある

携帯電話は1台しかないので仕方がないが・・
カメラも薬も小銭も鍵も、ICカードやノートも鉛筆もおやつも別々に入れている
リュックさえ持って出れば・・そう迷うことがないし、帰ってこれる
要は、忘れ物がなく帰ってこれるわけである
思えば忘れ物ばかりの人生だった
それでもカバンは人生の友だった
今でもであるが、中身が変わってきた

最初に入れたのは親に作ってもらった弁当だろう
教科書より重かった、会社の書類も入れた
出張の時は書類をほって子供の土産を入れたこともある
カバンに入るだけのものを入れたらカバンを持てなくなったということもある
マイホームを建てたころ、やけにカバンは重かった
人生は重荷を背負って生きるがごとしというのは実感だ
重荷は全てカバンに入っている

リュックに代わったが、ひと頃より軽くなったような気がする
これからは自分が重荷になってくるのだろうか??
(28.5.2)



no.110「近江坂本の西教寺(大津から京へ至る道番外)」

西教寺玄関

(写真註:西教寺玄関)


西教寺というのは聖徳太子によって創建されたとも言う
良源(元三大師)の庵でもあった
源信(恵心僧都・えしんそうず・1017没)も修行したという
天台宗の阿弥陀如来の念仏道場である
室町時代に比叡山の真盛(しんしょう)上人により中興
信長の比叡山焼き討ちの後、坂本の領主となった明智光秀の援助によって再建された
我々が見てるのはその後の西教寺である

西教寺は開放的なお寺である
事務所の玄関に「戒称二門」(かいしょうにもん)の文字がある
戒とは如来の不思議な力と働きをわが身の中に感じることである
称とはその力によって活かされている喜びを念仏として外に現すことである
努めて自分の欲望を抑えて他の人との和合に心がけることである
真盛(しんしょう)上人の標榜した戒を守り一心に念仏を唱える姿勢を表したものである
この思想から鎌倉時代に至り、法然や親鸞などが育ってくることになる

ここへ来ると大津の大きさが分かる
信長は対岸安土にあって、湖を渡り坂本に上がり、比叡山を超えて京都に入る道を好んだ
最短距離でもあり比叡山延暦寺勢力を牽制出来る
もっももそれと同時に焼き討ちもしてしまった
それも合理的発想である?いずれにしろ信長の上洛ルートである
北陸・関ヶ原越えの東国からは最短距離なのだ
この道を滋賀越えとか山中越えという、当時の主要街道であったが、やがて東海道へ移っていく
信長の時代は坂本が南近江の中心都市だった

寺は坂本から比叡山横川(よかわ)に向かう中腹に立っている
坂本の町と琵琶湖が見渡せる要害の地でもある
延暦寺(えんりゃくじ)、園城寺(おんじょうじ・三井寺のこと)と並ぶ天台宗の名刹である
今は天台宗の一派から独立した天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の本山である
なお、坂本の西教寺は兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)ともいう
白河にあった法勝寺(ほっしょうじ)と言うと、応仁の乱の時にほぼ焼失
その後、廃寺同然であったが、乱後約120年の秀吉の小田原攻略の年天正18年に後陽成天皇の命により山を越えた近江坂本の西教寺(さいきょうじ)に併合された
西教寺は明智一族の滅亡や念仏道場という言葉の方が重みがある
(29.9.12)



no.111「生きているのがしんどくなるとき(前)」

(写真註:)


統計というものは右・左に山があって真ん中がへこんでいても平均値というものがある
60歳で定年を迎えて夫婦二人が死ぬまで(いわゆる老後)どれだけの金が要るだろうかという話題だ
将来の平均余命を勘案してかつ平均して夫婦で30年間暮らすという仮定だ
月の消費支出は2人で月25万円(60才以上の平均的生活)
年に300万円、30年間で300×30年で9000万円にもなる
夫婦の年金は月に20万円、30年間の年金額は7200万円になる
月に5万円は不足するわけだから、90までも生きてしまえば不足額が1800万円になる

もちろんいくら平均だと言って、各家庭が月に5万円ずつ借金しているわけでない
この1800万円をどうして埋めるかというとサラリーマンでも幸せな人は退職金がある
企業年金も少しは上乗せできるかもしれない・・
しかしこれはもらった人の話である
すでに統計に何の意味もないのが分かってもらえるだろうか
もしもまだ統計を大事にするなら国民は60歳からまだ1800万円近くの収入を得なければ平均も維持できないことになる

退職金どころか、実際は年金額が10万円に満たない人も多い
いい仕事があって働ける人もいるし
そうかと思えば働きたくても働けない人もいる
仮にハローワークの紹介パートなら月に100時間も働いて9万円ほどである
その計算では約200か月働いてやっと1800万円・・
60歳から76とか77歳まで働いてやっとの世界なのだ
子供からの仕送りがある人ないこともないだろう、その他にも不動産を活用するとか、究極は自分に掛ける生命保険もある
一人一人の気持ちではせめて平均までは行きたいと思うだろう
それにしてもただ二人で生きていく(老後)だけで9000万円も支出しなければならないという方に改めて驚く
そんなところに世間の業者が群がってくるのがこれからの図式だろう
(この項続く)(29.9.18)



no.112「生きているのがしんどくなるとき(後)」

(写真註:)


人間は、特に庶民は統計の上でなど生きていない
この老後というカテゴリーでくくっても、中には別荘を買った人もおれば、それでなくとも500万円の車を買った人も、1000万払って世界一周の旅をした人も含まれる
いいんだよ・・ただはっきり言って統計の中に入ってほしくないのだ
月25万円という夫婦所帯の平均支出と言ったってところで、平均とは何の意味もないのである

小生の先輩は1戸建て自慢の家を処分して、介護付きの養護施設に入所した
一生そこで暮らせるかもしれないが、帰るとところがなくなった
それは離婚した奥さんも同じことだろう
結果として介護を社会に頼むことによって家族は大きな資産を失った
都市住民の唯一最後の財産は家だし、最後の買い物は老後施設だろう
やっと自分の家を売って施設に入らねばならなくなってもったとしてもだ
それでも国の統計では支出も収入も平均をはるかに超える幸せかもしれない

老人の不動産処分にひょっとしたらバブルの再来を期待する不動産屋だっているかもしれない??
ただ、くどく言えば都市と田舎では大きな差がある

老後破産や、生活保護という反対因子も浮上してきている
人生はここにきてセーフかアウトの二つしかなくなる
離婚や病気はセーフからアウトへ変わるきっかけにもなる
それでも基本的な医療や介護制度は円熟してきている
ただ、介護を受けるための単価は今後も少し進めば暴騰するだろう

老後に収入を超える生活は出来ないのは当たり前だ
年金生活をするということはそれぞれの隠遁生活をするということなのだ
娑婆(しゃば)にありながら娑婆の消費生活から離脱することだ・・
それでないと暮らしていけなくなると気付くべきだ

隠居だと思っていたら隠遁だった
なまじ予定より長生きすればなおリスクが増大する
アウトかセーフか毎回ベースを踏みながら生きていけと言う警告だと思うべきではないか
(29.9.20)



no.113「祇王と仏御前(前)」

ハクモクレンが咲きだすと数日でサクラが咲く

(写真註:ハクモクレンが咲きだすと数日でサクラが咲く)


平家物語巻第一「祇王」による
「萌え出ずるも枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわで果つべき」
祇王(ぎおう)が西八条の清盛の館を下がる(去る)時の歌である
正直なところと言えば新しく自分代わって寵を受けることになった佛御前(ほとけごぜ)への妬みだと思う
「佛もむかしは凡夫なり 我らもついに佛なり いずれも佛性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
と清盛と佛御前の前で舞った
強烈な嫌みだったけど、結果は二度目の憂き恥(うきはじ)だった
祇王二十一歳尼になる、妹妓女十九歳、母四十五歳ともに髪を剃り、
"一向専修(いっこうせんじゅう)に念仏(ねんぶつ)して後世(ごせ)を願うこと哀れなり"とある
栄華を手に入れた人ゆえの恥である、憂き恥だった

ところが
「娑婆(しゃば)の栄華(えいが)は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん・・、」
仏御前は語る
この度、地獄に沈んだら、輪廻転生とは言えど未来永劫浮かび上がる事難かるべし、一旦の栄華を誇って後生のことを忘れた生き方の哀しさに気づいて・・哀しくてと
既に尼の姿になって自分が蹴落とした祇王の前に現れた
ともに念仏して、一つ蓮の上の身となりたい・・苔の上にても念仏し往生(おうじょう)の素懐(そかい)を遂げたいと思う
それを祇王が受け入れるわけである
・・
大河ドラマ的ではなく歴史は再現フィルム的に見るべきである
大事件なのである

時の太政大臣清盛の寵愛の白拍子が、栄華の頂点にある芸能人が、一瞬にして何もかもほって蹴落とした女とともに念仏一途の生き方に帰依するのである
僧(ほぼ公務員)の修行をしなくとも、髪を落として念仏三昧の人生はおくれるのである
往時、女人は宗教の埒外であった
だから、女人でも往生できるというもう一つ大事なことを物語の最初に言ったのである
かくして、平家物語は「往生」という当時(鎌倉時代)最新の宗教観によって構成されることになる
(この項続く)(29.9.23)



no.114 「1円玉が増えてないですか?」

(写真註:)


あなたの家に、この頃1円玉増えてませんか?と問われた
あとしばらく8%のややこしい数字で行くのだから急に減ることはないやろ
消費税の話かと思ったら、違った
専門医が極端に少ないもんだから、認知症の発見が一番の課題だという
講師曰く、認知症になると、家の中に1円玉が増えるという
認知症になると片づけや掃除が出来なくなる、また食べることが唯一の楽しみになるということらしい
その辺はなんとなく分かるような気がする
でもちょっと待って、それが診断なの??認知症ってそんなもんなの??

講師いわく、お金を正確に払えなくて大きな札でお釣りをもらうようになるからだという
小生、使うよりたまる、1円玉を毎日持ってかえってくる、毎日増える・・
もっぺん待ってよ、それが認知症?!
小生の部屋は足の踏みどころない、昼飯と晩酌が楽しみで生きている
その上、1円玉はめんどくさいから持ち歩かない、家に貯まってる
これみな認知症の症状だったの・・????
これから先は民間療法??

優しくしてくれる人は気が弱い、おとなしくしてる人は後ろめたいことがあると決めてるような話だ
レジで並んでる後ろの人のことも考えずに1円玉を一つずつ出してる老熟女も認知症診断からいえば逆に大丈夫かもしれない

いつでもポケットに1円玉を持って出るなら、30円分くらい必要だ
それが出来なければ小生これから、コンビニやスーパーでは「釣りはいらないよ」言うことにしようかな
(29.9.25)



no.115 「祇王と仏御前(後)」

苧環という字を当てる、オダマキ

(写真註:)


祇王、仏御前のこの話はたとえ再現フィルム風に作っても下手な役者が演じたのでは駄目である
現代を生きる人は仏の前でも差別されてきた女性ということを体現しないからである
平安時代の宗教観は貴族による貴族のものである
現代人の知らない宗教観だと思う
清盛は天下の貴族であるが祇王も仏御前も庶人である
貴族社会の庭から自ら逃れて祇王らが隠れ住んだというのは寺ではない
隠れ住むのである

しかしながら、いずれにしろはるかなる嵯峨野の山奥である
祇王寺そのものは明治になって謂れにより再建されたものである
今であっても、物見遊山だけでは足が届かない地である

論調を変えます
平家物語というのは、源氏が天下を取り戻す物語なのであるが
珍しく敗者の平家に目を向けたものなのである
二十歳そこそこの白拍子が芸能人として女として最大の評価を得て
権力者の気ままゆえの浮き沈みをまた二十歳そこそこで感じる
その逃げ道が貴族社会から逃れることであり出家であり念仏を一念とする世界である
今まで以上の長き人生を念仏だけで生きていくのと決めることなのだ
それでも往生は唯一の求める道なのだ


それが物語である
それでも何でそんな祇王の話が平家物語の冒頭に出てくるのかと言えば、女人も往生出来るという概念を訴えたいからである
この時期になって法然上人が古い殻を破って唱えた念仏往生を表しているという
祇王も仏御前もさりとて善人でもない、ましてや悪人というまでのこともない
善行・悪行よほどのこともないまでも、ただただ、往生するためには念仏一途の姿なのである
それが、既存の天台や真言の教義から超えてでてくる法然(1133-1212)の念仏思想である
平安時代に天台教義の根元である良源(元三大師912-985)や源信(恵心僧都942-1017)らが往生のあり方を唱えた
鎌倉時代に入ってより明確に庶民の宗教としての存在を明確にしてくる
それが念仏であり阿弥陀如来の力をすがる思想である
阿弥陀如来信仰はやがて親鸞によって体系化されることになる

平家物語は善人悪人平等の法然の新しい浄土思想が背景にあるというのが、我がスーパー講師の力説するところである
祇王寺は苔の色
(29.9.25)



no.116 「尊勝院/粟田口界隈」

元三大師良源

(写真註:元三大師良源)


粟田口(あわたぐち)と言うのは、秀吉の京の七口の一つ
三条口とも言う
東海道や中山道へ繋がる街道の口である
秀吉の時代には三条大橋の西側、今の河原町三条の交差点に近いと言われている
その後は東海道の上りとして都への入り口としての役割を果たす
蹴上(けあげ)から西へ三条大橋の方へ進むと粟田(あわた)神社がある

通りから南へ参道がある
しばらく進むと旧東海道に出る
粟田神社の参道に少し西へずれて並行してあるのが、京都一周トレイルの東山コースである
このまま登っていくと将軍塚に至る筈だが、その途中にあるのが尊勝院(そんしょういん)である
そこまで登ると、ここから京都の北山方面が望まれる
真下が粟田神社だけど、直に行けない
隣が青蓮院だけどこれも直に行けない

実はこのお寺、隣接する青蓮院(しょうれんいん)に属す、住職は青蓮院門跡とある
青面金剛(しょうめんこんごう)を祀る京都の三庚申(さんこうしん)の一つと言うことで時に見学させていただくわけである
地図では上手く見つけられない、観光から外れてしまうとこれほどのものかと思う
本当に60歳以上にはしんどい、その静すぎる尊勝院
元三大師(がんざんだいし)良源のお堂である
近江坂本の西教寺の時にも名が出てきたあの元三大師のことである
この項続く(29.10.22)



no.117 角大師(つのだいし)/粟田口界隈

春になったら途端に咲いている

(写真註:春になったら途端に咲いている)


元三大師と言うのは慈恵大師(じえだいし)とも言われる
18代の天台座主良源(りょうげん)、天台宗中興の祖とも言われる
ここは元三大師をお祀りしているお堂でもある
応仁の乱の後秀吉によって再建されたとある
徳川期は住職が多賀大社の別当を務めるなど
青蓮院門跡の有力な塔頭であった

が、ここで述べたいのは平安時代の良源のことである
僧兵を多く抱えた比叡山であったが、
良源(985没)や源信(1017没)は天台本覚思想と言う教義を体系化していく
これは平たく言うと信仰中心主義であった
その後200年やがて、法然(1212没)や親鸞(1263没)、道元(1253没)、日蓮(1282没)などの僧はこの思想を超えて鎌倉時代の新しい教義を開いていく

その根元にあるのが、良源である
良源は観音の化身とも言われたりする
角大師(つのだいし)はこの良源の姿厄除けの護符である

近江の坂本や大原や京都市中の民家に見られる
この項、その護符の謂れの一端である
(29.10.26)



no.119 12月8日は釈迦の日

消えているところが「無常迅速」

(写真註:消えているところが「無常迅速」、和訳すると"修行僧に言う、生死は事大にして無常は迅速なり。各々醒覚して、無為に時を過ごさぬように"・・。)


紅葉は洛葉になっても京都の街はあいも変わらず喧騒の中にある
観光とは魚市場の如くあると誰かが言っていた
小生は中国語の音符が分からない
JR奈良線も稲荷を過ぎてしまうと単線らしいローカルな落ち着きを取り戻す
黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は宇治にある、駅は京都からは宇治の一つ手前黄檗駅でおりる
v 萬福寺は徳川体制になってから中国から招かれた隠元(いんげん)禅師によって開かれた
今でも、中国様式と音を守っている
だが、ここで中国の人に会うことは少ない
独特の装飾もここでは気にならない
12月に入って一層静かだ
実は12月はこの禅宗でも「臘八摂心(ろうはちせっしん)」と言って座禅の時期に入っているのである
しかも、一週間以上も寝ずに座禅の修行をするらしい
12月8日は仏教にとって大切な日である
35歳の釈迦が明けの明星を眺めながら悟りを開いた日とされる
陰暦の12月は臘月(ろうげつ)という、その8日目のことだから臘八(ろうはち)なのである
多くの寺で法要が行われる、暦を見ていただいて成道会(じょうどうえ※〇〇かいとよんではいけない・・やくざの会ではないので注意)というのがこれである
例えば、千本釈迦堂の大根炊き(だいこだきと発音してください)もこの行事である

我々は悟りを開いた釈迦と付き合っている
悟りを開くまでの釈迦はひょっとすれば(×ひょっとすれば)我々と同じかもしれない
人生が苦であるならば、その原因を断たなければならない
が、釈迦にある悟りが我々にはない、ある筈がない
生死事大(しょうじじだい)は中国音では"せんすすーだ"と音するらしい
禅では「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と堅苦しく始まる

まず考えることは生と死である
どちらを先に考えるべきだろうか?
死んだら考えることは出来ないのだから、生きてるうちの課題であるであることが分かった
ならば死んだ後のことまで考えが及ばないのも無理もない

座禅だけで悟るには相当な修業が必要だろう
あくまでも萬福寺は静かである
せめて座禅を組む間の修業僧にはこの静かさが保たれてほしいと思った
(29.12.8)



no.120「地獄に仏は医師のこと?」

(写真註:)


人は病気になって始めて自分が生きていることを知るという
早く大人になりたいという成長の峠を超えれば
進むたびに下っていくのが生きることだろう
年をとるということは嬉しいことではない
年取れば病気になるということも受け入れざるを得ない
人の最後の治療に家族の同意が必要という医師がいる
本当は患者本人の同意を求めることなのだ
・・がいつかそうなったともいう


自分で決められなくなるのも老人の宿命だろう
仕方がないと思えば、悲しいこことではないのかもしれない
しかし、悔しいことだろうと思う
生きていることの悔しさだ
小生の母は自分の最後は自分で決めると言っている
息子になんぞに決められてたまるかと言ってるように聞こえる
人間最後の幸せは地蔵菩薩のようないい医師に当たることだという
生き死にを金で買うことが出来ると思う人にはわからない

これからの世にそんな出来た医者がおる筈はない
小生は間に合わないかもしれない
探してはいるが・・
この世で地蔵菩薩に出会えるかどうか分からない
地獄で地蔵菩薩を見失わないことの方が大事なことだ

(30.1.31)



no.121「介護保険の前」

(写真註:)


路地子(ろじこ・小生のこと)の父は難病だった
もうすでに長く症状は重いけど平衡していた
病院はそれを安定していると言って入院させてもらえなかった
老人保健施設は難病の人は手におえないと言われた

やっと見つけた長期療養型の病院はホテル並の費用がかかった
それでも納得して順番を待つしかなかった
その間せめて週に一度ぐらいは、とデーサービスにも連れて行った
難病で体が動かせない者にチーチーパッパを強制する
もう行かないと本人は怒りだす
家族はまた途方に暮れた

介護保険が始まる前、ゴールドプランが云々され始めたころのことである
制度というものはそれぞれ良く出来ている
しかし、役所が作る制度と制度には必ず隙間(すきま)がある
垣根の前で控えた制度を作る
大きな隙間を制度で埋めれば、制度と制度の間にまた隙間が出来る

今でも同じである

福祉とは制度と制度の隙間に入った人を救うことだと言う
それが政治だとも聞いたことがある
そんな政治があってほしい
(30.3.7)



no.122「ハトの方がたくましい」

(写真註:)


早朝勤務で駅前のバス停にバスを待つ
やっと薄明るくなってきたころ
数人しかいないバス停でハトを寄せる老女がいる
ハトを寄せておいて餌を撒いて自分はバスに乗っていくのだ
パンの耳などを上手く細かく切っている
この前小生の他にもちょっと注意する人がいて少しトラブった
「あんたに迷惑かけてへんやろ」と言って喚いて
それも論理か

その老女にひょんなこと職場の近くの結婚式場の前で出くわした
確かにあのご婦人(老女)だ
古めかしい大きな建物の玄関をだぶついた作業服を着て
連れと箒と雑巾とバケツをつんだ台車を押して掃除していた
結婚式場なら確かにバス待ちの人には関係のないことであった
晴れ着を着たお客さんはこんな時間にバスに乗るような用事はない
ただ、駅前のバス停はハトで困っている
ハトが悪いのではない
ハトもこんなとこに来なくともちょっと飛べば近くに東本願寺もある
そこならハトを取って食おうという人は少ない
こんなところにハトを寄せて早朝に餌を撒くことはハトを罠にはめることにはなる

それで分かった
掃除が仕事なのだ
だから、ハトを寄せてるのだ
朝早くから出勤して、あけても暮れても掃除なら・・
掃除ばかりの今の老後(人生のこと)に疲れているのだろうと思った
・・時々汚す方にも回りたい気もする??
年とって仕事ばかりしていると世の中のきれいごとに無性に腹立たしくなることもある
あるいは彼女もはや晴れ着を着ることがないのを哀しんでるのかもしれない
いずれにしろ公園で子供がハトと遊ぶのを見ている年寄りとは違うのだ

必ずしも幸せな年寄だけではないのはあたりまえのことなのだ
女人の往生は一筋縄ではいかんかも・・?

と、小生も少し穿って思ってみた
(30.3.12)



no.123「資産寿命が尽きるとき」

(写真註:)


「老後」というのは使い勝手の良い言葉だ
誰にでもあるけど、幾つになっても進行形である
いくらでも心配できるしいくらでも脅かせる
「健康寿命」など言うのも同じだ
寝たきりでは生きてる値打ちがないと老後を鼓舞してくれる
ケツを押したり足を引っ張ったりどちらでも使える
「資産運用」も使い勝手が良い
ない人もある人も増やすことが出来るならそれに越したことはない
その都合から
「資産寿命」という言葉が生まれたのだろうか
証券会社や生命保険会社が余計な計算をしてくれる
老後の日常生活費は月22万円(平均)
だがゆとりある暮らしは月35万円、その差額は月12万円
老後スタート時(65才想定)の貯金(退職金を含む)3500万円(平均)
3500÷12÷12で24年・・で、90歳を前に底をつく
年3%で運用すれば、105歳まで生きることが出来るという
安全な投資信託などで資産を運用をしないと健康寿命より資産寿命が尽きてしまうぞ と、脅かす

でもな、10年前のリーマンショックの時だ
投資信託は自分の元本を削って配当してくれていることが分かった
素人は皆、うかうかしてるうちに解約が遅れ大幅な元本割れを起こした
多くの人が退職金と老後資金を減らした
今の銀行や証券会社にはそのころの社員はもういないらしい
それにしても月35万のゆとりある老後生活が出来るとしたら
我が国の経済はそれだけで既に数%以上の成長率を続けていただろう

確かにそういう人もいるだろうな
入ってくるものが有り余るなら毎日宮廷料理でも食えばいい
80になっても90になってもまだそれだけのコストがいるのだろうか
そもそも、老後の生活でゆとりとは何なのだろうか
ほとんどの人が入ってくるものでしか暮らせないのは当たり前である

年金で足らない分を家族で万引きをして暮らす人もいる
そんなゆとりだけは勘弁してほしい

老後というものは多くのものを整理して捨てて生きながらえていくことでもある
資産寿命が尽きた人に宮廷料理のメニューを見せて何をしたいのだろうか

それこそわずかな貯金をまた吸い上げてやろうというのだろうか
(30.4.13)



no.124「ピンボケの原因は老化だった」

絵は愛器コニカUB(1956・S31)、62歳になるこの機械にはフィルム巻き上げがなかった

(写真註:絵は愛器コニカUB(1956・S31)、62歳になるこの機械にはフィルム巻き上げがなかった)


カメラのオートフォーカス機能も今は当たり前である
今も昔もピントを合わす理屈は変わって無いような気がするが、
今みたいに勝手にレンズがくるくる回る方の理屈がわからない
写真を始めたころ、先生がいないので職場のカメラ好き先輩に写真を見てもらったら、
期待に外れて「皆、ピンボケやんかと・・」とボロクソに言われた
レンズというものは必ず焦点が合うところがあるのだが、自分が狙ったところにあっていないことになる
屁理屈をいえば本当はその画面の中でピントがあっているところがある

例えば人間の顔は目に合わせと言われる、眼球の表面にピントを合わせということである
が、鼻が高い人の鼻先にピントを合わすとピンぼけ写真となる筈であるが、が見ることは出来る
光学的にピントが合ってるのは点であるが、写真にしたときその点の前後にはピントがあっていると見られる範囲と言うものがある
それを被写界深度と言う、それを上手く利用するのが写真の第一歩である
小生の先輩が言っていたのはそのことである

当時、マニュアルカメラだから、カメラのせいではなかった
ならばどう違ったのかと言うと、それは絞り値が違ったのである
絞り値が違ったのは、シャッタースピードが違ったからのである
シャッタースピードが違った原因は、フイルムの感度にもよる
カメラの歴史は250年になる、だが、カメラの基本は昔と変わっていない
基本は変わっていないのにどんどんどんどん進化している印象を持っている
それは、ピンボケを少なくする技術なのだ
シャッタースピードをを早くしたり、感度を上げるのも目的は同じである
俄然、デジタルカメラの一番得意のとこなのだ
レンズを短くしてレンズ径を小さくして、そのかわり感度を高めていけばピントが合う幅(被写界深度)が長くなるという理屈なのだ
カメラは元来軍需品なのだ、スパイは大きなカメラを持たない・・そういうことだ

今のデジタルカメラの完成度も高くなってきた
これからの機能は今度は反対の方向(大きくて重くて不便ながら・・)に進んでいる
そうしないと昔みたいに多くのレンズを必要としないからである
そんなこと(歴史)知らないで進んで来た人には、そういう使い方は面倒である、だから、今度は手ぶれ防止がいる理屈だ

最後に残された課題はカメラマンの老化なのだ?
本当のピンボケの原因はやはり年令だったのか?
そういえばシャッター押すのにも体が震えている
息を止めると少しあぶない


京都の街角で日本製の大きなデジタルカメラを持った若い人に声をかけると多くは外国人だった、スパイのように写真を撮りまくる
日本の工業製品でまだしばらく底堅いのはデジタルカメラであると思う所以である
(31.3.17)



no.125「ボケてるけど認知症には間がある?」

(写真註:)


家の中に1円玉が増えると認知症の疑いがあると・・という話をする人の話を前にした
日常生活の中にそれらしき症状が現れるものだから、家族の早期発見が大事なことは確かである
件の講師も、80歳前半の人(もちろん生存者)の大体5人に1人だと言っていた
それでも年齢が上がれば割合は進むことになる
他の手引き書でも、認知症の発症は80才以降の年齢で急に上昇し95才以上までなると大体5人に4人にもなる
深刻な数字である

もちろん、認知症と言っても色々な種類があり、どこまでのことを言ってるのか分からない場合もある
現実に、アルツハイマー型の認知症は認知症全体の半分に過ぎない
その他のものについてはあなたも名前も知らないというのが現実だろう
早期に適切な診断がなされないと適切な対処が出来ないのは当たり前である
気になることの一つに、医療体制の都市と田舎の差である
また、治療法が少ないこともこの病気への理解を浅はかなものにしているのではないか
そんな正確な知識は家族にだって求めるのはほぼ無理である

認知症のことも知りたいし語りたいのも事実だが、この件については明らかに経験不足である
ともかく、こんな深刻なこと、風評だけはやめようと思う
この講師の話で納得できたことも沢山ある
ボケと認知症の最大の違い
認知症の人の最大の特長は「自分に不利なことは一切認めない」ということだった
社会生活の基本が欠けてしまうのだそうだ

この言葉が今、小生の中で尾を引いている
本当にただのボケだったらいいのだが・・
(31.3.23)



no.126「老後という言葉を使える人」

(写真註:)


新聞の人生相談も毎日となるとネタがなくなってくる
何年かで一巡りしてくると思っていい
答えがあっての相談だからだ
上手くそれにはまってくれるばかりではない

今回のは少し面白かった
60代の女性が先に死んだ母親の祟りで悩んでいるという
どんなことかと言うと外出の服に大量の鳥の糞がかかったり
その他訳の分からいケチがつくという
贅沢をすれば罰が当たるようで怖いと言う
生前十分な看病をしなかったと反省しているのはいいが
だから・・そのバチが当たってるという

どないしても生きておりゃ、バチも当たるし
バチが当たったと思ってもそれで済むもんでもない
相談の内容ぐらいなら、そんなもんバチにも値せんと言うてやるしかないのだが
怨霊などと言いだすと俄然面白くなる
そこまで行くと新興宗教みたいになって人生相談にならないのが問題だ

親の世話・看病、に限らず人の世話は十分でないことの方が世の常である
つもりはあくまでもつもりであり、それだけしかできなかったということだ
なお言えば、それはそれだけしかする気がなかったということと同じである
バチだ、バチだということは、言うなればバチ逃れなのである
怨霊信仰の原点みたいな話だ
子が親に祟るのも親が子に祟るのも暮らしているからである
親のバチならば親が生きててこそ食らうものである
生きて苦しんでいるときの怨念をしっかりと受けてやるべきである
それでこそが親孝行というものである

親は見たけど子には見てもらえない・・
それが一番普通になってきた
親の怨念より子の怨念のほうが怖い
そんな世が来てることこそ知るべきである
生きていることの覚悟のひとつである

と、小生なら締めくくる

・・・・・・ここまで来て・・いつも覗いていただける読者の皆様に感謝してます
そんな不都合な話ばかりでよければ引き続きご覧ください
(31.4.22)



no.127「老ネズミ男の妄想」

(写真註:)


病気や薬の副作用で出る妄想はやはり病気の所為である
が、それはわかっていたとしても家族にとっては重大事になる
波があることも医者から聞かされているが波の高い低いは家族でもわからない
妄想はおとぎ話は違う
おとぎ話は最初から架空の話だと分かっているが
幻聴や幻覚は現実なのだ

心にも耳にあるような三半規管みたいなものがあるのではないか
その心の平衡感覚が狂い出すのではないだろうか?
心は握りこぶし二つを合わせたものだというけれど
それが離れたからといって倍になる訳ではない
小生は医学の知識もないし、心理学の素養もない
なんとなく気づくことがある

妄想はあらぬことを考えてるのではないのだ
妄想というのはその人の本心なのだ
もともと本心というのはいつも固い殻を被っている
そう訓練されたというのが正しいのではないか
妄想の始まりは人が信じられなくなることだ
自分だけが可愛くなる
求めているものは(下世話に言うと)色と金なのだ
あとは子孫を残す本能かもしれない
本能ボケながらだからこそ人に獲られたくないのだ

本心とは逆の顔をして生きてきたことが壊れるのだ
その皮が壊れたりして本心がむき出しになる
あるいは心が壊れて本能がそのまま出た状態が妄想なのだ
幻聴・幻覚というけれど本人には幻聴・幻覚でないことが問題なのだ
年とって病気になることの怖さがそこにある

病気になってぼろが出る??のである
小生のその正体が根っからのスケベーなネズミ男であったのがばれるのだ
(31.4.25)



no.128「青春は忘れ物!あれからずっと忘れ物ばかり」

(写真註:)


この頃家を出る時の忘れ物が多くなった
二度も取りに帰ったこともある
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる

忘れ物でも帰ってくるまで気付かなかったらそれは要らなかったものに近いのだが・・
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった

それでも・・何かを忘れているという恐怖感がある
ガスを消しただろうか、本当に鍵をかけて出ただろうか
家内がいなければそんな心配まで増える
そんなことでは一人暮らしになったら外出もできないのでは?

それでも今までも忘れ物ばかり
ボケが始まっている???・・・という人もいるが
忘れ物とボケはやはり違う、忘れてはいけないものが多くなったのだ
開き直って忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに帰ってくるほどのものはないか

そもそも・・平成の忘れ物は取りに帰れない
鯵庵(1.5.3)



no.129「立夏の頃」

減らず口をたたきながらも若葉の写真は撮りたい。

(写真註:減らず口をたたきながらも若葉の写真は撮りたい。"あおもみじ"ポスターにつられて石山寺へ・・・自分で嫌になっている)


新緑だと言えば"青もみじ"だと言う
「京都ではそう言うんだよ」と逆に富山の友人が教えてくれた
そうか、金沢・富山までは昔から特急サンダーバードが走っていたな
だから、京都の旅は身近だという
JR西日本などの交通観光業界が力を入れているというのが訳だった

なにはともかく国語辞典でもみじを引くと、?紅葉とある、Aに"かえで”とある
かえでを引くと、カエデ(楓)科の総称とある、葉が手のひら状で紅葉が美しいとある
新緑が美しいというのでは足らなくて・・"紅葉が美しい楓の新緑、若葉も美しい"と言おうとすれば"青もみじ”になる?
元々新緑や若葉などと適格な言葉が存在する・・それで十分ではないかと小生は思う訳である

なお・・俳句の季語なら青楓(あおかえで)という言葉が古くからある、そのことやんか
実はそれどころか、「青紅葉(あおもみじ)」という言葉は既にあるのだ
紅葉の時期にまだ緑色を残しているもの、あるいは紅葉の進みを言う

紅葉しているものと未だ色づかないものグランデーションを愛でた言葉である
言葉としては新緑一色よりも奥が深い感慨が得られる

「青もみじ」という青二才的造語は、この時期紅葉の名所に客を導くための言葉である、ことを理解している
京都を売らなければならない業界の努力である
言い換えればこれもサラリーマンの論理なのである
観光というものはすべからくミーさんとハーさんのためにある
語彙(ごい)に飢えている人には青楓(あおかえで)より入りやすいのも事実だ
なお
「青もみじ」と「青紅葉」ではまるっきり意味が反対になってしまう
が、しかし、観光業界用語「青もみじ」は人生の秋の言葉「青紅葉」を駆逐するだろう

鯵庵は言う、つまらんことを言うと「往生しまっせ・・?」と漫才では言う
往生しきれないことを往生しまっせというのだよ
それが分からないと言葉の面白さのが分からないのだよ
(1.5.4)



no.118-2「年功序列」

一番正しい人は何も言わない人だ

(写真註:一番正しい人は何も言わない人だ、だが人は石でない)


この頃、サラリーマンしかしたことのない人がシルバーの職場に増えている
小生もその一人である
継続的に仕事のあることは幸運である
シルバーも早いもん順は間違いない

そう言うと、私の先輩は、シルバーの仕事に歳の差は関係ないと言う
シルバーの年功序列というのは死ぬ順番のことを言っている
病気もボケも許されない
早いもん順とはそのことらしい
「年功序列に異議があるならボケるのは後回しにせよ」と・・・言っていた
やはり年とってからの仕事は買ってでもせよ?????
鯵庵(1.5.10)


京都写楽苦会チーム新切京都写楽苦会チーム新切(文芸部)(C)2019 singireaji
1.5.20